日本のフリーメイスン
戦争勃発
昭和初期(1930年代)になると、満州事変、上海事変をへて昭和12年(1937)に日中戦争が始まり、軍国主義者たちによるフリーメイスンの締め付けが強化され、昭和15年(1940)頃から国家主導による反メイスン運動は厳しさを増し、昭和16年(1941)の開戦とともに国内にあったすべてのロッジは活動を中止せざるを得なくなりました。
フリーメイスンは過去においてその民主主義的理念のために、ファシズム、ナチズムなどの国家主義、全体主義や社会主義、共産主義など、その理念と相容れない体制下において弾圧を受けたり、禁止されたりしました。その一例がナチス・ドイツによるユダヤ人とフリーメイスンへの弾圧です。しかし、フリーメイスンとユダヤ人の間には直接の関係はありません。グランド・ロッジ制度が発足したイングランドでは、初期の段階において会員はすべてキリスト教徒でしたが、後に、神の存在を信じる限り宗教は問わないことになり、キリスト教以外の信仰を持つ人々も入会できるようになりました。戦前の日本はナチスと同盟関係にあったので、ナチスの反ユダヤ、反フリーメイスンの印刷物が多く輸入され、日本語に翻訳されました。また今日でも時折、当時とほぼ同じような見当違いな内容のフリーメイスン関係書籍が出版されていることは誠に遺憾です。
戦後
戦後になってメイスン活動が再開され、戦前からあったロッジの中でイングランド系の一つとスコットランド系の二つのロッジが活動を再開しました。フィリピン・グランド・ロッジ傘下に占領軍の関係者を中心として日本国内でロッジの開設が始まり、昭和22年(1947)から昭和31年(1956)の10年間に16のロッジが設立されました。占領下の日本において、メイスン会員であった連合軍総司令官のマッカーサー元帥は民主主義精神を基本とするフリーメイスンの理念を積極的に支持しました。その結果、日本人の参加が可能となり、昭和25年(1950)には日本で初めて5名の国会議員を含む7名の日本人が入会しました。昭和32年(1957)3月、日本で活動していたフィリッピン傘下ロッジのうち、15のロッジが日本グランド・ロッジを設立しました。その後会員数は着実に増え、昭和47年(1972)には傘下ロッジの会員総数は4786名になりましたが、それ以降は減少傾向となり、現在にいたっております。
ちなみに、全世界のフリーメイスンを統括する総本部はありません。グランド・ロッジ制度のもとでは本部であるグランド・ロッジは原則として一つの国に一つ、米国及びいくつかの大きな国の場合には一つの州に一つ存在します。これらのグランド・ロッジではそれぞれの間で友好関係を結び、互いに対等の立場で相互交流を行っています。日本グランド・ロッジでは、現在世界中の150以上のグランド・ロッジと友好関係を持っています。
我国には日本グランド・ロッジ傘下以外のロッジもいくつか存在します。イングランド系ロッジが一つ、スコットランド系が二つ、フィリピン系が二つ、それに戦前上海で設立され昭和27年(1952)に東京で活動を再開した米国系(マサチューセッツ州)ロッジが一つあります。これらはいずれも日本グランド・ロッジが昭和32年(1957)に設立された時点ですでに日本で活動していたロッジです。この他に平成10年(1996)に日本グランド・ロッジと友好関係を結んだ米国ワシントン州のプリンス・ホール・グランド・ロッジ傘下のロッジもいくつか日本国内で活動を行っています。